5月末に5月初の投稿です。
ああ、もう6月。月が替わるたびに「もう◯月」って、決まり文句になっている。30日、31日の時点で分かっていることなのに。
週末は要約筆記の派遣だった。久々に長尺もの。
そこでのエピソードを1つ。
会場で講演を聞きに来ていた人が帰り間際に、私の脇を通るときに
「自動入力、お疲れさまでした。たまに見せてもらいましたよ。ありがとう」って言われたんだよね。
自動入力・・・?
私たち、聞きながら生入力しているんですけど・・・と返答する間もなく去っていかれました。
とっさのことで意味が分からなかったけど、その後、考えてみた。
今回の講演とディスカッションは、前ロールも多かったんだよね。
前ロールの部分はスムーズに表出される ⇒ これを自動入力と勘違い?
それを私たちが加筆・訂正をしながら表示していると思われたのだろうか。
それとも、単純に「自動」と言葉の使い間違いか。
今となっては分からない。
あと、感染対策で、講師もパネラーも、全員、マスクをしての発言だったので、普段の半分くらいしか聴き取れなかった。
ほんと、要約筆記者(+手話通訳者)泣かせの派遣でした。
こんな時期であろうとも、話す人はマスクなしにやる会議や講演もあるのに。
前置きが長くなったけど、今日は「要約筆記を始めたきっかけ」について話そうと思います。
要約筆記を始めたきっかけ
今年度の受講生さんが例年より多いので、皆さんはどんな思いで講座を始められたのかな~なんて考えていたとき、ふと自分のことを思い出した。
私が要約筆記の52時間の養成講座を受けたのは20年前。
きっかけは単純で、長年勤めた会社を退職することになったから。
新卒で勤めて、帰りが翌日になることもあるほど激務(というか今ならブラック?)だったので習い事はできない。できても短期限定なので、会社以外の交流は皆無。
会社と自宅の往復の生活で、社内結婚ということもあり、自分は世間一般の常識を知っているつもりで実は知らないんじゃないかという疑問が30代になってふつふつと沸いていたころです。
退職をすることになった経緯はおいとくとして、雇用保険が1年近く出ることが分かりました。
「じゃ、この1年に自分のやりたいことを探そう」と思っていたとき、新聞広告に出ていたパソコン要約筆記養成講座の募集に目がとまったんですね。
よし、これにチャレンジしてみよう
「要約筆記」なんて聞いたことないけど、なんだか面白そう。
入力にはちょっとだけ自信があるし、ボランティアなんて高校生以来だ。
通っていたカトリック系の高校はボランティア活動が盛んで、在学中に1回ボランティアに行くのが必須でした。
ほとんどが介護施設だったけど、その経験から「ボランティア活動をしたい」と思ったのが始まり。
開講日のあの思いがあるから
開講日は手書きとパソコンが一緒の部屋で30人くらいだったかな。
年齢もさまざま、男女比は女性9割って感じでした。
高校生のとき、ボランティアで施設慰問を1回やった程度なのに「ボランティア経験あるもんね」みたいな上から目線だった気がする。
受講すれば誰でもできるんでしょ、なんて今考えると大きな勘違いをしていたんだけど、その鼻っ柱をくじかれたのは、開講日の中途失聴の方の経験談。
普通に生活していて、ある日、聴力が失われてから現在までのことを淡々と話されました。
世間のことは分かっている気でいたけど、全然自分が世間を知らなかったことを思い知らされてものすごく恥ずかしくなりました。
誰にも明日のことなんか分からないし、自分もどうなるか分からないのに「障害」ということだけで線引きしていた自分のいやらしいところも分かり、本当に反省しました。
昨日の晩ご飯のおかずも思い出せない私ですが、そのときの話はまだ覚えています。
それまでの私は「井の中の蛙大海を知らず」だったんですね。
ま、今もたいして変わらないかもしれませんけど。
でも、それに気づいたのがその養成講座でした。
継続のためのモチベーションって?
講座修了後は、先輩たちに助けてもらいながら経験を積んでいって、だんだん自信がつくようになります。
でも、ボランティア活動をする中で、いろんな壁がありますよね。
仲間もどんどんやめていったし。
つい最近、私も悩むことがあり知人に相談しました。
その知人はコンサルタントをやっている人ですが、こう言われました。
「これわんが今まで続けてこられたのは、利用者さんに”承認”されていたからだよ。つまり、存在を認めてもらっているんだよ」って。
どういうことかと聞き返すと、
「だって、難聴の方や利用者さんに感謝されるでしょう? お礼言われるでしょう? それで、ああ、自分はここにいていいんだ、存在を認められているんだって思うんだよ」
「だからこれわんも、また次も頑張ろうってなるんだよ」
ああ、そうか。さすがコンサル。具体的に言葉にされると、そうか、そうかもしれない、と納得しました。
利用者さんが喜ぶ顔が私のパワーになる。
昨日の講演会でも、会場の人に「ありがとう」と言われた。
私にとってそれが次へのモチベーションになるのかもしれないなあ。