要約筆記をやってよかったなと思うこと

今日は要約筆記を始めてよかったことを話そうと思う。

その前に。

2年前に立ち上げた当ブログは、投稿記事の少なさもあり、20もアクセスがあればいいところだった。

ところが

上記の記事をアップした途端、急にアクセスが伸びた。

年度替わりの時期で、サークルの継続で悩んでいる人が多いのだろうか。

それとも、これから要約筆記を始めたい人が何か情報を集めているのか。

いずれにしても、要約筆記の注目度が上がるのはいいことだ。

これからもズバズバ思ったことを書いていこうと思う。

人の話をよく聞くようになった


母は私に小さいころから

「人の話をよく聞きなさい。話している内容でその人が分かるから」
「あまり自分のことばかりしゃべるんじゃないよ」

と良く言っていた。

高校卒業までは母のいいつけを守っていたが、社会人になってからは
・人の話は聞かない(聞いているフリ)
・人が話している途中で話をさえぎる
・人の話をとって結局自分の話にする

という、スゲー嫌なやつになった。(理由は反動からか?)

その母もいまは80歳を過ぎ、人の話なんか全然聞かなくなってしまった。

話すことは自分のことだけ。それも同じ話ばかり。

おおっと、話を元に戻そう。

こんな私でも要約筆記の講座を受講し長く活動を続けてこられたのは、

「人の話をよく聞くようにしている」という母の教えがあったから、だと思う。



要約筆記は話を要約して伝えることで、話していることをまとめることは当然のこと。

通訳中は話の方向や流れを前後の内容から推測して話者の言いたいことを聴き取るようにしている。

また、講師が言いよどんでいるときも「何を言おうとしているのかな」と次の展開を予想している。

「話をよく聴き取り」「どう要約するか」「分かりやすくする」ことだけに焦点を当てている。

最近は直接的な表現や言い方は敬遠される傾向なので、婉曲的な言い方、回りくどい話し方の講師も多い。

その話の芯を見つけ、パッと見て分かるように入力しなければいけない。

そのためには、よく話を聞く「姿勢」が大事だと思っている。その点は確実に変わったと自負している。

話をちゃんと聞くことは自分の生活にもメリットがある。

つじつまが合わないことを言っていたり、口だけの人とか、話の内容で分かっちゃうんだよね。

なんだ、立派なことばかり言っているけど全然行動が伴ってないじゃん、とかね。

そういう意味でもすごく役に立っているし、よかったと思っている。

思慮深くなった

要約筆記を始めたからなのか年齢的なものか分からないが、物事を深くみて考えるようになった。

言い方を変えれば、経験を重ねたことで素直に正面から見ることができなくなり「何か意図があるのでは?」と勘ぐるようになったとも言える。

でも、それによって良いことはたくさんある。

話した内容から、その核心の部分は何かを考えるクセがついたと思う。

それまでは、言葉は「そのまま」受け取り、物事の表面しか見ていなかったように思う。

要約筆記でいろんな講演会へ行かせてもらい、いろんな話を聞くうち多方面から物事を見るようになったのかもしれない。

「勉強させてもらった」と思うような講演のときもあったので、そういう意味で役得だなと思うこともある。

コミュニケーションがスムーズになった

人とのコミュニケーションが円滑になったように思うのは、私が「人の話をよく聞く」ようになったからだろう。

それまでは一方通行だったり、なんだかチグハグな感じだったり、今思うとよくやってこれたな~と思うことばかりで赤面だ。

以前は、伝え方が下手で仕事に支障が出たこともあった。

きちんと伝える技術はこれからも学び続けたいと思う。

よくなかったこともあるよ

よかったことがあれば悪かったこともある。

よくなかったことも、言い出したらきりがない。

それこそ、冒頭の「要約筆記を続けるのはなぜ難しいか」の記事につながる話ばかりだ。

マイナスの面は今度ちゃんと整理したい。

その上で、どうしたらプラスに転じることができるか、私なりに考えてみたい。