春先に始まったコロナ騒動もひと段落とおもいきや寒さを増して感染者数が増えてきた。
派遣も少しずつ増えてきて、もとの生活に戻りつつあるかなと思っていたのは甘い考えだったようだ。
日本は重症者も少ないしコロナのこと以上に大事なことがいっぱいあると思っているから、人を分断させるべきではないと思っているが、かなしいかな、社会全体がコロナ一色で対策は必須になっている。
最近の派遣現場で思ったことなどを書いてみたい。
マスクの弊害1
コロナ騒動が始まった春先に予約されていた派遣は全部キャンセルになった。
その中には、滅多に開催されないイベントがあったので、本当にがっかりしたものだ。
その後半年間ほど、要約筆記の派遣はゼロだったが、秋風が吹くころには派遣依頼が増えてきて今月は例年のように派遣予定がある。
Go To キャンペーンも始まり、新しい生活様式を採り入れながらイベントの再開が始まったからだ。
イベント再開を待ち望んでいたものの、つらいことは「新しい生活様式での要約筆記」である。
パソコン要約筆記でもマスク必須のこと。
弊害その1は「声が聞き取りにくいこと」だ。
講演会など、4人体制で情報保障を行うとき、入力者が誤字を入力していると待機者は「小声」で注意する。
例えば、「待機」を「大気」と入力している場合「たいき」と小声でいうと入力者は気づいて表出する前に訂正できる。
でも、マスクをしていると声がとおりにくい。
声が聞こえればまだいい方で、モゴモゴしていて話しているかどうかさえ分からないこともある。
「え、なに、なに?」なんてやり取りをしていると、話がどんどん進み、結局、表出できなかったこともある。
あと、これは個人的なことだけど、マスクをしていると息がしづらい。
夏なんて暑くて苦しい上、呼吸困難で倒れるんじゃないかと思ったことは1度や2度ではない。
ただでさえ緊張する派遣現場において、脳に酸素を送り込みリラックスしたいがマスクをしていると深呼吸も難しい。
まあ、言い訳半分になるが、よい通訳ができないのはマスクのせいだ。
マスクの弊害2
弊害2は表情が見えないこと。
先日行われた講演会の会場はソーシャルディスタンスとやらで、定員の3分の1程度しか人を入れなかった。
毎年開催されている大規模なイベントなのに、人を入れないから席は当然まばら。
その日の講演会の講師は有料でも満員御礼になるほどの人気がある方だった。
私もその話を聞くことができるのをすごく楽しみにしていた。
話が逸れるが、自分の興味ある分野だったり、講師だと、がぜんやる気になるし意欲も違う。
逆に、全然興味ない分野だったり、話し方にクセのある講師だと、うまくいかないことが多い。
その講師は初っぱなから「つかみ」で聴講者の関心をひいていて、やはり話の内容は面白かった。
難しい話もあるため、聞く人を飽きさせないように時折ユーモアを入れて話をしている。
情報保障中でも、クスッと笑いがもれるような面白い話なので、会場もウケているだろうと目をやってみる。
ところが、マスクで口が覆われているので笑顔が見られず、人がまばらなのでシラけているムードすら感じる。
前面から会場をパッとみたとき、あのマスクをつけた顔が無表情にみえて「コワい」とすら思った。
それでも、講師はめげずにその後何度か冗談を言いつづけていると、笑い声が聞こえたり、マスクをしていても目が笑っているのが分かるので、多少救われたような気分だった。
※追記(2020年11月8日)
昨日の某セミナーにて。講師が「マスクは表情が見えません。目しか見えないから思いっきり表情豊かにしましょう」と言う。
理屈は分かるが正直疲れる。マスクはずせば済む話だろうに。
講演会の工夫あれこれ
そのほかにも、式典の最中に人が替わるたびにマイクを消毒したり、退場の際に密を避けるために人数制限して誘導したりということが行われていた。
その都度、進行がとまり時間がかかる。
はっきり言って、
それって意味あるの?
と思うことばかり。
こんなのいつまで続けなきゃいけないのかと思ったら、専門家会議の舘田一博会長が「2024年まで新しい生活様式は5年間続けなければいけない」と断言したそうだ。
えーーー!
私はコロナは茶番だと思っている。
つまり「つくられた騒動」だと確信しているが、その理由と詳細はここでは控える。
そうは言っても世間の風潮には従わざるをえず、派遣にマスクは必須。
マスクは嫌いだし苦しいけど、同調圧力に弱い私はマスクを外すことの方がコワい。