時代を反映する講演会テーマでヘコんだこと

要約筆記をしていて若いメンバーとジェネレーションギャップを感じることが多くなってきた。

自分のトシを実感してショックを受けることも多々ある。

最近ヘコんだ現場を記憶を記録として残しておきたいと思う。

通訳者としての自覚

先日、プロ意識のなさを痛感した現場があった。


そのときはLGBTの話がテーマになり、そこから性の話に広がっていった。

講師が数回「セックス」と発言するが、私は都度、ドキッとしてしまう。

わん3

え、いいのかな、入力しちゃって

なんて思ってしまう。

このときのメンバーは、私以外の3人はグーンと年下。

みんな当然のことのように涼しい顔をして入力している(・・・ように見えた)。

講師が何を言ってもちゃんと入力するんだよね、当たり前だけど。

これって、いわゆるジェネレーションギャップってやつ?

いやいや、私が単に変な風に受け取りすぎ?

と講師の話も上の空で考えてしまった。

セックスなんて聞くと、おばちゃんは恥ずかしくてほっぺが赤くなりそうになるんだけどな。

いや、そこで「おばちゃんだからさ~」と言っている時点でプロ意識がないわけで。

若いとか年寄りとか、そういう問題じゃないんだよなあ。

文字通訳なんだから、講師が言ったことをちゃんと伝えないといかんのだ。

要約して入力しないと駄目なわけだ。

ちゃんと人の役に立っているのか

そのときの現場で、もう1つ考えさせられたことがあった。

途中1人のパソコンが不具合が出てうまく連係できなくなってしまった。

こういうときも、私は「どうしよう、どうしよう」と内心パニックになるだけ。

できることといえば、その人が打てない代わりに打ってやろうとするだけ。

でも、あるメンバーは、その人の不具合のパソコンを直してあげようとしたんだよね。

待機中だからできたんだろうけどさ。

いや、でも、いくら待機中でも私はやらないかもなあと思ったら、

なんだか長くやっているだけで、いざというときアクション起こせないって駄目だなあ、なんて猛省。

そんなこんなで反省しきりでした。

やれることをやろう

そして派遣終了後に帰ろうとしたとき。

モヤモヤした気分でいたら、講演会に参加した知り合いの難聴者から

「今日、すごく分かりやすかったよ。ありがとう」と言われ、

ますます自己嫌悪。

ああ、私は御礼を言われるだけのことをしたのかって・・・。

で、帰宅して悶々と考えていて、ひとつ思ったことがある。

ここで気づいたこと反省は次回に生かせばいいって。

「こうしなければ」とか、無理することはない、って。

そうしないと長く続けられないだろうなという結論に達した。


私が所属するサークルのメンバーは、少しずつ若くなっている。

いずれ私もボランティア活動を続けられなくなるときが来るかもしれないが、

自分なりに頑張っていればいいんじゃない、って勝手に自分をなぐさめてみた。

さとす

無理せず、あせらず、だね